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25-2672

ここ興昌寺は、
七〇〇年の歴史と
格式ある禅宗寺。
この地で
手を合わせ祈り、
本当に叶えたい願いを
お届けします。

興昌寺について

19世 無涯が止住の地
歴史と格式の禅宗寺

臨済宗東福寺派、七宝山と号し、本尊は阿弥陀如来。聖一国師直弟の性海が建立、真言密教の道場であったが、正慶年間(1332〜1334)ころ、東福寺19世無涯が当地に止住して宗旨を禅宗に改めた。

住職
上杉 大航

年間行事について

01

年始の挨拶回り

檀信徒様の家へ年頭の挨拶をしてお札を配ります。

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02

涅槃会並びに檀信徒先祖供養

3月15日(旧2月15日)はお釈迦さまが涅槃に入られた日です。興昌寺では涅槃会と同時に檀信徒様の先祖総供養を致します。

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03

お盆参り

檀信徒様の家へ行き、お仏壇の前でお参りさせていただきます。

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04

達磨忌(だるまき)

禅宗の始祖である達磨さんの法要を致します。

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05

宗鑑忌(そうかんき)

境内にある一夜庵を建てた山崎宗鑑の法要を致します。

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06

除夜の鐘

旧年の反省と、新年への抱負を込めて鐘を撞きます。来ていただいた皆様にはお菓子と甘酒をお配りしています。

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お知らせ

永代供養・堂内墓をお受けしております。

堂内墓とはこれからお墓を建てよう、またいまお墓はあるが掃除などの維持が体力、距離、時間の問題でむずかしい方に向けた、ロッカー型のお墓です。普通のお墓と違い、掃除やお花をあげる必要がないので手ぶらで手を合わせに来ていただけるような室内のお墓になります。

境内情報

01

一夜庵

俳諧の祖、山崎宗鑑が興昌寺の境内に結んだ庵で、日本最古の俳跡といわれている。建立は、享禄元年(1528)でその後4回ほど修復されたが、ほぼ原形をとどめている。一夜庵の名は、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかったという次の句に由来。「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客」

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02

ミニ88ヶ所

四国88ヶ所霊場約1450キロの旅路は熱烈な信仰心と忍耐強い身体と健康が必要であり、貧しい庶民は人生の苦しみやなやみを霊場巡拝により解決しようと願ってもそれは容易にできることでなかった。そこで熱心な大師信者が浄財を出し労力をささげあって自分の信仰の場として、また、苦しみなやむ人々のために聖地観音寺興昌寺山にミニ四国八十八ケ所霊場がつくられた。本尊石仏の最古のものは明和二年(1765年) 徒歩40分ほどかかる。

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03

根上がり松

根の部分が地上に露出した黒松で、太さ約1メートル、高さ約3メートルほどある。根が露出しているのは地面の風化、松の樹齢など様々な条件が重なっているからだと考えられている。根が地面から浮き上がってもなお、生き続ける松は非常に珍しく、貴重なものである。根上がりは値上がり。株価や給料アップなどを祈願する人が訪れる金運スポット。
観音寺市ホームページより抜粋
(元)県指定

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興昌寺御朱印

御朱印とは、神社やお寺を参拝した「参拝証明」として押印される印章印影のこと。いわば、「神仏とのご縁の記録」です。
御朱印は社寺によって異なりますが、「印章」と「参拝日、神社仏閣の名称、祀られている神様・仏様の名前などを墨書きしたもの」で構成されているのが一般的です。
御朱印の由来は諸説ありますが、もともとは巡礼者がお寺で納経をした際に受け取っていた証が原型と伝わっています。

香川県観音寺市|歴史ある一夜庵を修繕し、人々が集う憩いの場所へ
応援よろしくおねがいします。